昨日は帰りがちょっと遅くなったんだけど、
かみさんはいつものように笑顔で「おかえり」と言ってくれた。
ついでに珠希も笑顔で「パパーおかえりー!」だと。よしよし。
もうね、全ての疲れが吹き飛ぶ瞬間。

朝起きるのは5:45くらい。始業より1時間早く着くけど、電車空いているからさ。
かみさんは毎日起きて朝飯を作ってくれる。
チビ2匹に囲まれて、ロクに寝られていないのにね。ありがとう。




昨晩寝ようと横になったが、1つの歌がグルグル回ってちょっと寝付けなかった。

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何も言えなくて…夏



綺麗な指してたんだね 知らなかったよ
となりにいつもいたなんて 信じられないのさ
こんなに素敵なレディが俺 待っててくれたのに
「どんな悩みでも打ち明けて」そう言ってくれたのに

時がいつか 2人をまた
初めて会った あの日のように導くのなら

2人して生きることの 意味をあきらめずに
語り合うこと、努めることを 誓うつもりさ

「私にはスタートだったの あなたにはゴールでも」
涙浮かべた 君の瞳に
何も言えなくて まだ愛してたから…


もう2度と会わない方が いいと言われた日
やっと解った事があるんだ 気づくのが遅いけど

世界中の悩みひとりで 背負ってたあの頃
俺の背中と話す君は 俺よりつらかったのさ

時がいつか 2人をまた
初めて会った あの日のように導くのなら

水のように 空気のように 意味を忘れずに
あたりまえの 愛などないと 心に刻もう

短い夏の終わりを告げる 波の音しか聞こえない
もうこれ以上 苦しめないよ
背中にそっと 「さよなら……」
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結婚したこと、夫婦でいること、子供がいること…。
どういうことなのか、うまく表現することができないけどね。。


いつもいる人、いつもしてくれること、いつも話しかけてくれること、、
最初はありがたく幸せに思うことでも、人間ってダメな生き物でさ、
やがてそれは"当然"であり、悪い意味での"空気"のように感じてしまう。

あって当然、してもらうのが当然、当たり前のなんでもない事。。。

朝起きれば食べ物があるのが当然。
夜帰れば食べ物があるのが当然。
部屋がきれいに掃除されているのも、着る物がきれいに洗濯されているのも、
冷蔵庫に飲み物があるのも、トイレットペーパーがあるのも、その他全てのことが当然。

別に夫婦間に限らず相手への感謝の気持ち、尊重、思いやる気持ちや愛する気持ち、
そういうのが薄れて傲慢になることが1番恐ろしく感じる。


中学生あたりで、誰もが1度くらいは強がったと思うんだ。
「親なんかいなくたって、別に平気だ!」とかってね。
そして暴言を吐き、心配と迷惑を掛け、それを幾度となく繰り返す。

まあこんなのは、若さから来る相手への意識の欠如に過ぎないけど。

でも"いい年"になってからでも、ふと気を抜くとそういう考えが忍び寄って来る。
人間って、そんなものなんだと思うんだよね。脆弱な存在。


そして、その自分の傲慢さに気づかず、相手を思う気持ちを取り戻せず…
そうなったとき、その関係は終わるんだと思う。修復できないほどに。

"空気"ってのは"ある"のが当たり前で普段意識すらしないのと同時に、
それが無ければ誰も生きていけない。
そこをわからないと、自分も相手も不幸にするだけなんだろうね。


まだ壊れていないのなら、今すぐにでもそれを修復すべき。
壊れかけていても、自分の気持ちと態度次第で直ることだって大いにある。

けどね、もし本当に壊れたら、なにをどうやったって直らないんだよね。
だけど同時に、壊れないうちに直すことができるのも人間だと信じている。
2008.04.17 Thu l ぐち・ブルー l COM(0) TB(0) l top ▲
まあ、「嫌われるのが好き」な人はいないだろうけど。。
こんなの見つけたんだよね。


・話もしないのに携帯かけっ放し 最近の中高生は本当にこうなのか
 http://www.j-cast.com/2008/04/13018873.html

 家に着いた途端彼や友達と通話しっぱなしにする。
 しゃべらないで、ゴソゴソとか音だけを流してるぽい。


なんだろね?
特に会話をするまでもないんだけど、"繋がっている"という安心感を求めるんだろうか?
えー、おじさんには意味がわかりません。。。

若い世代に限らずだろうけど、携帯依存ってのはすごく感じる。
 -電車ではほとんどの人が携帯をいじっている。
 -飯屋でも、携帯片手に黙々と食べている。
 -友人だか知人だか知らんが、複数人で来ていても皆手元の携帯をいじっている。
こんなの見かけない???

酷い話では、女子学生数人で喫茶店に行き、やはり皆で携帯をいじっているのだが、
実はその中の1人の悪口を、他のみんなで互いにメールしまくっていたとか…。


付き合い方が希薄で、当たり障りの無い友情で、
「ケンカをしてわかりあう」よりも「上手く流してその場を保つ」ことに
重きが置かれている、、 そんな感じなんだろうね、きっと。
いわゆる、心の奥まで通じる親友ってのではなく、
誰かが白と言えばみんなも白だというような、仲良しの集いという感じ。

もちろん一概に良し悪しつけれるもんでは無いし、
"親友"の定義だって怪しいもんだけどね。


こんなのも。

・携帯電話依存症が4割 風呂でメールとかもうアホかと
 http://news4vip.livedoor.biz/archives/51149410.html

・今の若い人は人に嫌われたり一人になるのを恐れ、敵を作らぬ様に生きている。
 http://news4vip.livedoor.biz/archives/51151334.html

なんていうのかな?
顔色を伺うにも、なんだか"卑屈"な意味での顔色伺いに感じちゃったりする。
 -メールが来たらすぐに返さないと嫌われるかも?
 -とにかく誰にも嫌われないようにしなくちゃ
そんな意識が強い人がおおいのだろうか?

何でもかんでも自己を主張し、いつも周囲と衝突しているようじゃ、
それは単にコミュニケーションに問題があるだけになっちゃうけどさ、
自己を殺して迎合すること、周りに自分を溶け込ませることに意識しすぎ???


何がいいのかわからないんだよね。

そりゃさ、個人的には自分が築いてきた"友人関係"のように、
別に毎日一緒に過ごすわけじゃないけど、でもどこかで互いに信頼しあっていて、
相手が喜ぶことを一緒に喜んで倍にして、辛そうなら一緒に解決するために努力して
その辛さを半分にしてやれるような、そういう仲がいいと思う。
(文章じゃうまく書けねえよ!)

けど、やがて珠希や麗香が大きくなり、周りがみんな下を向いて携帯を見ているなら
やはり親としては携帯を買い与え、仲間に入れるよう考えるんじゃないかとも思う。

携帯って、昔のファミコンと違うからね。
ファミコンの時はさ、誰かの家にみんなで遊びに行ってワイワイ楽しんで、
そういう"空気を共有"する遊び方の1つだった。

けど携帯となると、それが無いともうそれは"空気を共有"する手段が無いワケで。。
何を言いたいのかうまく書けないし、うまく整理もできないや。


全然話題は変わるけど、珠希をフットサルに連れて行ったの。
まだボールを蹴ってどうこうできないけど、広いのが嬉しいのか走り回ってました。



やっぱり男の子なんだからね、汗だくになるまで運動しなくっちゃ!
2008.04.14 Mon l ぐち・ブルー l COM(0) TB(0) l top ▲
何度かちょくちょく書いたと思うけど、おいら、学生時代はギター部だった。
ロックやジャズではなく、クラシックギターね。

で、ウチの実家の目の前が「特別養護老人ホーム」でね、
どんな経緯だったか忘れたけど、そこで慰問コンサートをやろうという話を出し、
何人かの有志で何曲か弾いたのを覚えている。


今思うと、なんの悪意も無く「喜んでもらえれば」という気持ちではあったけど、
なんていうか、
・老人ホームにしか居場所のない淋しく不幸な老人に元気を出してもらおう
というような、ズレた考えが発端だったような気がして恥ずかしく思っている。

大げさに書けば、
 -自分たちはわざわざ善意で行ってあげて
 -別に1円にもならないのに
 -練習に時間を掛けて演奏してあげる
というような、"してあげる"という感覚というかなんというか。。。

あ、もちろんそこまで高慢な思いでやったんじゃないけどね。

でもどこかに
 -かわいそうな老人
というような気持ちがあったのは確かだったと思う。


・慰問:病気・災害などで苦しみ悩んでいる人を訪ね慰めること。(goo辞書)


やっぱり間違っていたよね、おいら。
別にみんな、「老人ホームに閉じ込められている不幸な人」なわけではない。
そこはそれぞれの老人にとっての"家"であって、おいらたちはあくまで
その家にお邪魔させていただいて、余興でギターを弾かせてもらうってだけのこと。

コンサートホールに人を集めて弾くのとはワケが違うから、
当然ながら、静かに聴いてもらうことを強制させるようなものではなく、
逆に聴こうが聴くまいが勝手であり、本来そういうものなんじゃないのか、、 っと。


まあでも、その当時ここまでの考えはなかったけど、
高齢者を介護するということ、その介護している看護師たちの目、
そして、自由に動けないながらも笑顔を浮かべたり怒鳴ったりする高齢者たちを見て、
ほんのほんの、針の先ほどの一部ほどではあるだろうけど、
介護ってものがどんなものか理解し、初めて意識をした瞬間だった気がする。




で、年取ったのか最近"前置き"が長いんだけど…。


・怒りを感じた
 http://yurey.blog94.fc2.com/blog-entry-369.html

 就職のために資格をとろうとしているなら、資格を取って欲しくない。
 “何のため”に資格を取って働こうとしているのかみえないから。
 福祉の世界は低賃金、ボランティア精神がないとやっていけない。
 だからこの“何のため”が重要になる事を考えていないね、この質問者は。


Reyさんは、知的障害者支援施設で働いていらっしゃる(らしい)。
前述の老人ホームとは違うけど、でも"人を相手にする"ことは一緒。
きっと「資格」や「知識」だけでは通用しない世界なんだと思うんだよね。

もちろん、就職に有利な資格を取るのはいいと思うし、反論の余地は無い。
けど、就職のためだけの資格取得となると、どんな業界や業種であろうと、
それが"人を相手にする"仕事なら、なおさらうまくいかなくなるんじゃないかな?

まあ、質問者がまだ若くて人生経験も乏しく、同時に今の景気の悪さも重なって
「就職する」ということに敏感になっている面もあるんだろうけどさ。。


やっぱり何事でも、それをすることの意味、理由を深く考えないとね。

・オシャレで清潔感がありそうな"IT・Web企業"と言っても、
 おいらのように同じような服ばかりで、オシャレとは無縁で、ガンダムバカで、
 いろんなブラウザと睨めっこしたり、プリンタのトナー替えたり、
 興味も無いブランドの特集ページ作ったりして、会社と家を往復するだけの毎日。
 なんでこの会社にいるの? いてどうするの? 何をしたいの? 楽しいの?

別にここで答えは書かないけど、何かをするときってのは
それの現実の姿と、それに付随してくるいろんな環境をちゃんと理解して、
だけどそれでもやるんだという"情熱"って必要だと思うんだよね。

それがある程度確立していないと、絶対に長続きしないし自分が不幸になる。
当然、同僚も上司も部下も取引先も、みんなハッピーではなくなっちゃう。
そういうのが無いままに就職した会社、おいら結局みんな辞めちゃったわけだし。。

また同時に、そういうのが無いままにきれいなことだけを想像していると、
実際にそのことをしている人に対して、ある意味失礼だしね。
Reyさんの怒りは、そういうところからのものがあるかもしれない。


"介護"ってさ、いつなんどき自分が"してもらう"立場になるかわからない。
雨で滑って腰骨折るかもしれないし、なんか降ってきて頚椎損傷するかもしれないじゃん。
万が一そんな時は、どうせなら"心意気"のある方に世話になりたいな、、 っと。

# 結局最後は自分勝手で締めくくる(笑
2008.04.10 Thu l ぐち・ブルー l COM(2) TB(0) l top ▲
昨晩、布団の上にうつろに横たわりながら、なんとなくテレビを眺めてた。

なんかくだらないバラエティーとか多いよね。
そんなのより、なぜ消火器で聖火を消そうとしたりするのか、
チベットではなにが起きているのか、なぜ中国側とチベット側で発表内容が違うのか、
大気汚染問題について、日本にどれだけありえない態度を取っているのか、
そういったことを広く正しく伝えればいいと思うけどね。。

まあ、それはいいや。



みのもんたが出てたと思った。クイズ形式だったかな?
なんせボーッとしていたから記憶が定かではないんだけど、
今時の小学校で"消えたモノ"ってのをやってた。

・通信簿の5段階表記
・カエルの解剖
・土俵
・二宮金次郎像
・ブルマ
・教壇

こんなんだったかな?

通信簿は、各教科を単に数値での5段階にするのではなく、
さらに細分化して「よくできた」「できた」「がんばりましょう」なんだと。
バカ親による「ウチの子を数字で評価するな!」みたいな意見の対応ではなく、
詳細を明確にすることでモチベーションを上げ、前向きにさせる意図なら良いと思う。


解剖は、命を粗末にしているからだと。
どうだろね? 確かに全小学校が行えば、毎年何百万匹(?)という
カエルさんの尊い命が天に召されていくわけであり、それはそれで問題な気がする。

けど同時に、カエルのような人間と比べ下等な生物でも"生き物"であり、
心臓があり肺があり胃があり腸があり… そのへんのおもちゃの電池切れとは違い、
失われた命は2度と戻らないという、"命の尊さ"を目の前で学ぶ機会でもある気がする。

代替案として、教師1人が解剖を行うか、解剖ビデオを見せるか、
そういうのでもいいような気もするんだけどなぁ。。。


土俵(=相撲)は、体格差が顕著に現れるし怪我もしやすいからだと。
はい、これでまた国技離れが1歩進みました。

って冗談はさておき、怪我をしやすいのは確かだよね。
また、小柄な男が大男を倒すのは、格闘技の世界ではありえても子供同士じゃ無理。
そのあたりの"体格により事前に勝負が見えている"というのも、
小柄な子供からしたらイヤなもんだよね。おいらもイヤだったしさ。。


金次郎さんの像は、歩きながら本を読むのを真似ると危ないからだと。
いや、まあ、、 そりゃそうなんだけど、、、
もうちょっとさ、その表面的なことじゃなくて意図を汲み取り子供に伝えようよ。。。

まあ学校側、保護者からしても、"万が一"のリスクでも排除したいんだろうけど。


ブルマが無くなったのはけっこう前からじゃん?
そう、ブルマ世代だったおいらは勝ち組!




で、最後に教壇。今までのは、これについて言いたいがための前置き。

いやね、「生徒と教師を同じ立場にするため」の教壇の撤廃なんだって。
古い考えの人間なのかもしれないけど、これには酷く違和感を覚えた。
"撤廃"自体への違和感ではなく、撤廃となった"理由"への違和感。

だってさ、教師と生徒は対等じゃ無いじゃん。
それぞれが"同じ人間"という意味での上下があってはならないけれど、
学校の教室での授業という状況で、知識を与える目上で経験豊富な人間と、
知識を与えられる目下の経験不足で未成熟な人間が、立場違うのは当たり前じゃんか。


なんか、"人権だ"とか"権利だ"とかって風潮が、行き過ぎてる気がする。
「人権と権利」を装った身勝手と利己主義と他人への攻撃。

 -違法駐輪をしながら「どこに止めようと自由だろ」と開き直る。
 -「患者の権利だ」と叫びながら医師を大声で罵倒する。
 -「ウチの子は○○だから」と教師にに無理難題を当然のように押し付ける。
そういう"ヤクザのいちゃもん"と同レベルな感じで、
「教師が壇の上から子供を見下すとは何事だ!」なんてクレームでもあったのではと、
なんだか変な想像をしちゃうんだよね。。。


人間として、いや、生物として本来全て平等であると思う。
それこそ「ミミズだって オケラだって アメンボだって〜」という歌の通りにね。

けど、社会の中で、それぞれの人間の立場は同じではない。
新入社員が、入社日にその企業の社長に
「よお、元気? 今日からよろしくね。まあ、足引っ張んないよう頑張るよ。」
なんて言ったら、その日が退職日になっちゃうでしょ。

それは極端にせよ、全ての他人は尊敬の念を持って接するべきと考えている。
いろんな意味での先輩、目上の人なんかは特にね。

あ、電車の地べたに座っているような、恥知らずのクズどもとかは除くけど。


まだ小学生であればなおさら、「先生と生徒は立場が違う」ということを
ちゃんと理解できるような環境であるほうがいいと思うんだ。
歪んだ権威主義とは違う、常識としての目上との関係を養うのって大事だと思う。

おかしな方向で「人権と権利」の解釈を進めちゃって、
うわべだけの「先生と生徒は友達みたいな仲」なんてのを目指しちゃってさ、
そういうのが「学級崩壊」とかの原因の一端になっているのではないかと。。。



以前、運動会とかの順位付けを無くすとかって記事に関して書いたことがある。

・差別とはナニ?
 http://kimiope.blog59.fc2.com/blog-entry-315.html

ちょっと違うけど、でも通じる物があると思う。
人間なんて、みーんな立場が違う物。現実として仕方ないし、それが社会。
家では親子という関係があり、学校では先輩後輩という上下があり、
社会に出ればそれこそいろんな意味での強者と弱者がひしめいている。


小さいうちからあんまり極端に「平等意識」みたいなのに染めないでさ、
現実的な主従関係、上下関係とかを現実的に理解させたほうがいいと思うんだ。
2008.04.07 Mon l ぐち・ブルー l COM(5) TB(0) l top ▲
昨日の夜さ、若年性アルツハイマーのテレビをやっていた。
その患者さんの家族に密着取材で、実際のところどんな生活なのか、、 と。
チビ2匹のおかげで落ちついて見られなかったから、断片的にしか覚えてないけど…。

以前、「明日の記憶」ってのを見たけどさ、やっぱりあれもきれいな部分だけなんだよね。


米をとぐことは身体が覚えていても、次になにをすればいいかわからない。
炊飯ジャーの蓋の閉め方すらわからない。
数字も読めなくなれば、自分の名前を書くことすらもできなくなる。
自分の子供の写真を見ても、それが一体誰なんだかわからないし、
目の前にいる家族が誰なのか、なんでここにいるのかもわからなくなっていく。。。

今回の取材に関しても、スタッフは毎日自己紹介をし、毎日取材の意図を説明する。
出かけるにも、「どこに行くのか」「なぜ行くのか」を交互に質問の繰り返し。

前に書いたことだから割愛するけど、記憶が消えていくのって本当に辛いと思う。
目の前に愛する人がいるのに、それが誰だかわからない、
家族からしたら、自分を誰だかわかってくれない辛さ。口じゃ説明できないよね。


勝手な想像だけど、いろんな葛藤があると思うんだ。
まだ病状が進行していないうちは、なんとか進行を食い止めよう、
自分の家族を忘れないようにしようと、それこそ必死で1分1秒が何よりも重いと思う。

だけど、どうしても進行していく中、昨日できたことが今日はできず、
昨日は覚えていたことが今日は思い出せず、
記憶と思い出は減っていくのに、自分の病状の進行は自分でも手に取るようにわかる。

だったらもっと症状が進行して、"記憶が無くなっていく"こと自体を"忘れる"ほうが
いっそのこと悩むことも無くて楽なんじゃないのか? …とか。

いや、もちろんおいらのような"部外者"に、本人や家族の方の気持ちなど
わかるわけがないんだけどさ、なんとも胸が苦しく切なくなる。



もし自分が発症したら?
もしかみさんが発症したら?

いろんな思いが巡るけど、それはここには書かずにしまっておこう。




1つだけ、すごく気に入らないことがあった。
徳光氏が直接家族と話をして、やがて泣き崩れていた。

巨人が勝っても負けても泣くのは別に構わない。
おいらだって、好きなスポーツや応援してるチームの勝敗で涙が出ることはある。


けどさ、誰よりも辛く、誰よりも耐えて、誰よりも頑張っている家族の前で、
たかが少し話をしただけで涙を見せるんじゃねえよ、と。

かみさんも言っていた。
「泣きたいのはこの人じゃなくて、本人と家族なのにね。
 なんでその家族の前で泣くんだろうね、この人。」
と。


取材に行くなら、絶対に涙を見せない覚悟で行くべきだと思うし、
それができないのなら、会いに行くべきではない。そう思う。

映像をスタジオで見ながら涙するのはいいよ。
だけど、実際の家族の前に行って、"軽々しく"泣くんじゃ無いと思った。
どれだけ本人は苦しんだのか、どれだけ家族は悩んだのか、
そして、半年後、1年後の生活がどんなものかもわからない不安。

そのくらい想像できるだろうに、なぜその家族の前で泣き崩れるのか。



医師が、あと5年で新薬ができるとか言っていた。
病気で動物が死ぬのは自然淘汰であり仕方がないんだけどさ、
でも、こういう辛いことが少しでも減らせる薬なら、ぜひ早くできて欲しいと思う。
2008.03.21 Fri l ぐち・ブルー l COM(6) TB(0) l top ▲